高砂市でリースバックをする際の重要情報

高砂市ってどんなところ?

高砂市は、兵庫県南部の播磨平野の東側に位置する都市で、東播磨県民局管轄区域の一つです。「たかさご」とは、河口で砂が堆積して盛り上がっている状態を表す古語である「たか-いさご」が転訛した地形を示す一般名詞であり、それが名前の由来になっています。

市の西側にある日笠山や中央部にある竜山などの丘陵地では、多くの遺跡が発見されており、古くから人々が暮らしていたという証が多数残されています。市の南側は瀬戸内播磨灘を臨み、東側には加古川が流れており、古くから白砂青松の風光明媚な宿として栄えておりました。南北が9.57km、東西が8.00kmで、面積は34.38平方kmを誇ります。隣接している自治体は、加古川市と姫路市です。2022年5月1日時点での推計人口は、8万6469人です。市の木にはマツ、市の花にはキクがそれぞれ選定されています。

高砂市内の公共交通機関に関しては、海岸側には山陽電気鉄道本線、内陸側にはJR山陽本線、その間にJR山陽新幹線がそれぞれ通っています。昔は、加古川駅から高砂町に至る国鉄高砂線が通っていたのですが、1984年に運行終了いたしました。高砂市コミュニティバスである「じょうとんバス」や神姫バスがJR各駅発着で運行されており、加古川バイパス・国道2号・国道250号などが通っています。加えて、高砂市内には多くの港があるのも特徴で、曽根港・高砂港・高砂西港・伊保港などが代表的です。ヨットハーバーも点在していますが、旅客船の運行はしておりません。

高砂市は、古くから景勝地として多くの歌人たちに愛されています。結婚式などのめでたい席で披露される謡曲である「高砂」や、和と長寿の象徴である「尉と姥」はこの地が発祥とされています。これを現代に受け継ぎ、ブライダルを結婚という意味に留めず「愛・平和・和合・長寿」をテーマに掲げ、子どもからご年配まですべての市民が、健康で明るく生きがいと夢のある生活を送ることができるよう、それにふさわしいまちづくりの推進をうたうものとして、1988年7月にブライダル都市宣言を行いました。

さらに、1982年6月14日には、人類を脅かす核戦争や核実験の禁止を求め、人類の平和と幸福を懇願し、日本国憲法の平和精神に基づいて核兵器の廃絶を誓う全世界の人々と相携え、永久平和を確立するのためのものとして、核兵器廃絶平和都市宣言を行いました。宣言以来、平和行政の一環として広報塔の設置をはじめ、平和啓発事業などを実施しており、より平和の輪が広がるよう取り組みを行っています。

また、高度成長経済期には、加古川の豊かな工業用水にも恵まれていたため、高砂臨海部が商港として播磨工業地帯の中枢を担いました。そんな高砂市の現在の産業状況を次の項目で説明します。

高砂市の産業

平成27年の国税調査のデータに基づくと、産業別就業人口は、農業・漁業などの第1次産業が242人で、割合は0.6%、工業・製造業などの第2次産業が1万4857人で、割合は37.0%、商業・小売業などの第3次産業の割合が2万5017人で、割合は62.4%、その他分類を含む総数は4万0860人です。最も割合が多かったのが第3次産業、その次に多かったのが第2次産業で、一番少なかったのが第1次産業という結果が見られました。

漁港が多いため、漁業は比較的行われており、船引き網や底引網漁による貝類・甲殻類などの水揚げが盛んです。焼きあなごは、この市が誇る特産品のひとつです。また、荒井町及び高砂町の沖合には、ワカメやノリの養殖場があります。作物で多く栽培されているのは、レンコンです。

また、高砂市では採石業も盛んに行われており、市の一部地域で産出する赤や黒の斑点を含んだ石英粗面岩である竜山石は、市が誇る特産物のひとつで、長きに渡り砕石が続けられています。

高砂市では他にも、石炭火力を取り扱っている高砂火力発電所や、キグナス石油高砂油槽所などが有名なエネルギー事業、液晶ディスプレイガラスを取り扱っているAGC関西工場高砂事業所や、食品・医薬品などを取り扱っているカネカ高砂工業所など、有名な製造業が盛んに行われています。
次の項目では、高砂市が歩んできた歴史について説明します。

高砂市が歩んできた歴史

高砂市の南西部・曽根地区の山麓には、縄文時代の貝塚遺跡である日笠山貝塚があります。さらに、市内の山から切り出されたものと考えられる石棺も出土しており、多くの古墳も確認されていることから、古代から人々が生活をしていたことが明らかになっています。

平安時代には、高砂泊と呼ばれる物流拠点が成立し、この地は寄港地として栄えました。鎌倉時代には、塩田が海岸線に作られ、製塩業が始まりました。高砂城は、室町時代から梶原氏が代々城主を務めており、1578年5月5日〜1580年2月2日にかけて行われた三木合戦の時には、別所氏陣営の兵糧供給拠点として機能しておりました。しかし、1578年10月18日に行われた三木合戦の高砂城の戦いでは、羽柴秀吉によって落城させられました。

江戸時代には、この地域は播磨灘の海運の要衝として、また加古川の舟運をベースにした物資の集散地として栄えていきました。さらに、加古川流域の水運が、藩主の本多忠政によって整備され、米作りに加え、製塩業・採石業・綿業などの地場産業が発達し、商品流通も盛んに行われるようになりました。また、工楽松右衛門は、高砂を拠点に港湾改修や海運業などを広く手掛けました。

明治時代以降は、用水資源が豊富かつ、神戸や大阪などの大都市に距離が近い点などから多くの企業が進出し、播磨工業地帯の中核を担うようになりました。明治維新後〜第二次世界大戦の頃までは、軍需産業が盛んであり、戦後は、軍需工場の払い下げ地に食品製造業や重化学工業が多く進出しました。

そして、1954年7月1日に、荒井村・伊保村・印南郡曽根町が合併し、高砂市が発足しました。2年後の1956年9月30日には、印南郡阿弥陀村や、米田町の大部分を編入、さらにその翌年である1957年3月10日には印南郡北浜村を編入し、領土を拡大しました。

このように歴史の深い、魅力溢れる高砂市ですが、「引越しをしたいから不動産の売却を検討している」という方々も中にはいらっしゃると思います。その方々のために、現在の不動産市場の様子を次の項目で説明します。

高砂市の不動産市場の動向

高砂市の2022年時点での公示地価は1平方メートルあたり5万8527円、坪単価では1坪あたり19万3478円で、全国順位は1374市町村中346位です。前年からの変動率は+0.08%で、全国順位は345位です。一方、基準地価は2021年時点で1平方メートルあたり6万2475円、坪単価では1坪あたり20万6528円で、全国順位は307位です。前年からの変動率は-0.15%、全国順位は392位という結果で、公示地価は上昇、基準地価は減少傾向が見られました。また、住宅地における2021年時点での1平方メートルあたりの平均地価は6万3270円、坪単価では1坪あたり20万9157円、前年からの変動率は-0.25%であり、商業地の2021年時点での1平方メートルあたりの平均地価は8万2000円、坪単価では1坪あたり27万1074円、前年からの変動率は-0.05%という結果で、住宅地・商業地のどちらにおいても減少傾向が見られました。

高砂市では、2013年〜2020年の7年間で人口が約7000人減少しています。特に、不動産の購入を検討することが多い30〜40年代の人口は、その7年間で、およそ2000人が減少しており、2020年〜2030年の10年間では、およそ5000人は減少する見通しが立てられています。
そうなると買い手が減り、地価もさらに低くなる可能性が大いにあるので、高砂市でリースバックを検討している人は、早めに行動することをおすすめします。

また、高砂市では現在、空き家活用支援事業を実施しており、市内の空き家に居住しようとする人や、空き家を所有し賃貸住宅または事業所として活用しようとする方に対し、その居住あるいは活用の経費の一部を補助することにより、空き家の有効活用を行っています。補助の対象となる人は、(1)空き家を住宅又は事業所として活用するため改修する人、(2)支払い義務がない場合を除き、市税を完納している人、これらの条件を全て満たしている人になります。その補助額は、夫婦の合計年齢が80歳未満の世帯や、18歳に達する日以後の最初の3月31日までにある人や、妊娠している人が同居している世帯に関しては、上限200万円です。それ以外の一般的なタイプに該当する住宅型・事業者型の世帯に関しては、上限が150万円となっています。加えて、空き家バンク制度という、空き家を利用し、高砂市にお店を開きたい人や高砂市に定住したい人に、市内の空き家または空き店舗の情報を提供するサービスも実施しているので、空き家を活かすにはもってこいの地域となっています。是非活用してみてください。

まとめ

高砂市は、古くから景勝地として多くの歌人たちに愛されてきた歴史のあるまちです。そんな高砂市は現在、「みなとまちづくり」として、空き家を積極的に有効活用する取り組みや、高砂海浜公園や、あらい浜風公園を整備する活動などを通して、さらなるにぎわいの創出と地域の活性化を図っています。そして今後もその取り組みは続いていき、よりよいまちが作られていくことでしょう。 このように、高砂市には魅力が満載です。ぜひ一度暮らしてみてはいかがでしょうか。