宝塚市のリースバックにおける有益情報

宝塚市ってどんなところ?

 宝塚市は、兵庫県の南東部に位置する都市で、阪神北県民局管轄区域であり、国からは施行時に特例市として認定されております。都市の中心部を武庫川が流れており、北側は長尾山、西側は六甲山の山々に囲まれております。面積は101.80平方キロメートル(境界未定部分あり)で、西宮市・三田市・川西市・伊丹市・神戸市北区・川辺郡猪名川町と隣接しております。

 市制施行時は、人口がおよそ4万人でしたが、神戸・大阪のベッドタウンとして宅地開発が進行するに連れて、人口は増加していきました。2010年の国勢調査で22万5587人に達してからは横ばいとなっており、2022年5月1日時点での推計人口は、22万4652人でした。1968年3月1日にはサザンカが、1995年3月1日にはヤマボウシが市の木にそれぞれ制定され、1968年3月1日にはスミレが、2021年3月25日にはダリアが市の花に、1995年3月1日にはウグイス・セグロセキレイが市の鳥に制定されました。

 国際観光文化都市である宝塚市は、年間877万人もの観光客で賑わっております。この都市は、歌劇と温泉のまちとしての知名度が高く、それ目当てに訪れる観光客が非常に多いです。特に有名なのが、阪急阪神東宝グループの創始者である、小林一三が手がけた宝塚歌劇団の本拠地である宝塚大劇場です。宝塚歌劇団の初公演が行われたのは1914年で、それ以降歌劇のまちとして世界的に有名になっていきました。

 また、阪神競馬場やゴルフ場などのレジャースポットも豊富で、まちなみの散策や、豊かな自然に囲まれたハイキングコースも一つの魅力として取り上げられております。それだけではなく、宝塚市には、かまどの神様として有名な清荒神清澄寺や、安産祈願の中山寺など、古い歴史を持つ神社仏閣が多々あります。

 他には、漫画家の手塚治虫が青少年期を過ごした都市としても広く知られております。

 交通アクセス面に関しては、市街地になっている都市の南部の方が鉄道網・バス網が整備されております。都市の中心駅としての役割を担っているのが宝塚駅で、阪急電鉄宝塚本線・今津線・西日本旅客鉄道(JR西日本)福知山線が通っております。この交通路は、大阪府の中心地である梅田方面へのアクセスとして利便性がたいへん良いです。阪急今津線・JR福知山線・阪急宝塚本線は、この地の代表的な3つのルートになります。また、隣接市の伊丹市にある、大阪国際空港へも短時間で容易に行くことができる点も特徴です。

 1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災による被害は甚大で、阪急宝塚駅付近では震度7を記録しており、全半壊家屋は約1万3000棟にも及びました。しかしその後、市内各地域の復興プロジェクトを順次進め、これまで以上に快適かつ安全で魅力あるまちにするための取り組みを行っております。

 宝塚市は、観光地としての知名度が高く、小売業や飲食業などが盛んに行われております。次の項目では、そんな宝塚市の産業について説明します。

宝塚市の産業

 平成27年の国税調査のデータに基づくと、産業別就業人口は、農業・漁業などの第1次産業が854人で、その割合は0.9%、工業・製造業などの第2次産業が1万8010人で、割合は19.8%、商業・小売業などの第3次産業の割合が7万2136人で、割合は79.3%、その他分類を含む総数は9万3932人です。最も割合が多かったのが第3次産業、その次に多かったのが第2次産業で、一番少なかったのが第1次産業という結果が見られました。

 宝塚駅には、かつて宝塚ファミリーランドと呼ばれるアミューズメント施設が人気を博しておりました。近年でも大型の商業施設が開設されたりと、商業機能が非常に充実しております。また、駅の東側に位置する清荒神駅付近にある清荒神参道商店会は、個性的な存在として知られており、飲食店やお土産や店が充実しております。

 工業面では、江戸時代、有馬街道に小浜宿が置かれ、徳川幕府の庇護を受けながら宿場町として発展すると、酒造業が発展していきました。酒造りの流派である、「小浜流」が栄え、兵庫県の代表的な酒造地である灘五郷に先立つ、お酒の一大生産地として徐々に知られていきました。製造業の分野別内訳では、従業者数割合が特に高いのは、食料品製造業です。

 豊かな自然に囲まれた田園地域が広がっている北部のエリアでは、農業が行われており、ダリア球根や北摂栗、植木などの生産が盛んです。ダリア球根に関しては、市北部の佐曽利宝地で生産が盛んであり、全国有数の出荷球数を誇っており、北摂栗に関しては、千年の歴史があるといわれ、9月下旬〜10月中旬が旬となっております。平安時代から始まったといわれている植木は、三大産地のひとつとして知られており、近年でも宝塚市の地場産業となっております。また、この市は海に面していないため、水産業に関してはほとんど行われておりません。
 次の項目では、宝塚市が歩んできた歴史について説明します。

宝塚市が歩んできた歴史

 宝塚市域では、縄文・弥生時代から人々が生活をしていたと言われており、古墳時代に築かれた200基を超える古墳などがその歴史を物語っております。宝塚の「塚」は古墳を意味しており、幸福をもたらす土地として人々に語り伝えられ、宝塚の地名が生まれたと考えられております。

 平安時代以降は、貴族が有する荘園として発展していきました。代表的なものに、川連荘や米谷庄などがあります。戦国時代には、山本地区の植木産業が本格的な発展を見せ始めました。江戸時代に入ると、街道の宿場町として小浜地区が栄え始め、それに伴い酒造業が発達していきました。

 明治時代に入ると、市域は観光のまちとしての地位を高めていきました。1884年には、武庫川右岸で温泉が発見され、その3年後の1887年には宝塚温泉が開業し、一躍人気スポットとなりました。1897年には、現在のJR宝塚線である阪鶴鉄道が開通され、遠方への移動が非常に便利になりました。末期には、小林一三らの力により、現在の阪急電鉄宝塚本線である、箕面有馬電気軌道が開通しました。さらに小林氏は、武庫川左岸に新温泉を開業させ、1914年には、現在の宝塚歌劇である宝塚少女歌劇が誕生しました。

 そして1954年4月1日、武庫郡良元村と川辺郡宝塚町が合併して、宝塚市が誕生しました。翌年の1955年3月10日には川辺郡長尾村を、同年3月14日には川辺郡西谷村をそれぞれ合併し、現在の市域がほとんど確定しました。その後は、徐々に住宅地として栄えていき、高度経済成長期には人口が急増し、1989年には人口20万人を突破しました。

 そして1954年4月1日、武庫郡良元村と川辺郡宝塚町が合併して、宝塚市が誕生しました。翌年の1955年3月10日には川辺郡長尾村を、同年3月14日には川辺郡西谷村をそれぞれ合併し、現在の市域がほとんど確定しました。その後は、徐々に住宅地として栄えていき、高度経済成長期には人口が急増し、1989年には人口20万人を突破しました。

宝塚市の不動産市場の動向

 宝塚市の2022年時点での公示地価は1平方メートルあたり16万4415円、坪単価では1坪あたり54万3521円で、全国順位は1374市町村中95位です。前年からの変動率は+0.70%で、全国順位は215位です。一方、基準地価は2021年時点で1平方メートルあたり18万7741円、坪単価では1坪あたり62万0633円で、全国順位は85位です。前年からの変動率は+0.90%、全国順位は124位という結果で、公示地価・基準地価のどちらも前年と比較して上昇傾向が見られました。また、住宅地における2021年時点での1平方メートルあたりの平均地価は15万5139円、坪単価では1坪あたり51万2856円、前年からの変動率は+0.43%であり、商業地の2021年時点での1平方メートルあたりの平均地価は28万4400円、坪単価では1坪あたり94万0165円、前年からの変動率は+0.16%という結果で、こちらも住宅地・商業地のどちらにおいても上昇しております。

 宝塚市の地価は、2014年以降毎年上昇しております。その要因のひとつとして、徒歩6分未満の、駅に近い物件数が増加している点が考えられます。ただ、基本的には駅から距離が近いエリアに関しては上昇傾向が見られるのですが、長寿ガ丘などの山を切り開いてできた住宅地においては、駅から距離が近い場所でも下落傾向にあります。

 また、一戸建てとマンションの地価は上昇しているのですが、土地の地価に関しては下落しております。空き家率に関しては、2013年が9.9%なのに対して、2018年は10.4%と増えております。世帯数は、2020年は9万4140世帯に対し、2022年は9万4056世帯で、2年前と比較するとほぼ横ばい状態でしたが、5年前の2015年の世帯数と比較すると、2000件近く増えておりました。空き家は増えてしまっておりますが、住宅需要も増加しております。

 前述したように、宝塚市の人口に関しては2010年以降はほぼ横ばい状態なのですが、2018年に国立社会保障・人口問題研究所が発表した人口の見通しによると、2020〜2030年の10年間でおよそ1万2000人減少すると言われており、今後は本格的に人口の減少が始まる見通しです。そうなると買い手が減り、それに伴い地価が下がる可能性が十分に考えられるので、宝塚市でリースバックを検討されている方々は、早めに行動に移すことをおすすめします。

まとめ

 宝塚市は、主に歌劇と温泉のまちとして人々から愛される都市です。現在、市の独自の取り組みとして、今後も世代を問わず、より多くの市民が宝塚歌劇に親しみを感じられるようなまちづくりをすること、「歌劇のまち宝塚」ならではの新たな魅力を創出することなどの目標を掲げ、その実現に向かって活動が行われております。そして、今後もさらなる発展を遂げていくことでしょう。
 このように、宝塚市には魅力が満載です。ぜひ一度暮らしてみてはいかがでしょうか