橿原市での不動産売却に関する参考情報

目次

  1. 橿原市の歴史
  2. 橿原市の近年の傾向
  3. 橿原市の市政
  4. 橿原市の特徴や見所
  5. 橿原市での不動産売却に関する総括

橿原市の歴史

「橿原市(かしはらし)」は、奈良県の中央部のやや北よりにある市で、北は田原本町、東は桜井市、南は明日香村と高取町、西は大和高田市とそれぞれ隣接しています。南北の長さは約7.8キロメートル、東西の長さは約6.4キロメートルで、面積は約39.6平方キロメートルです。

橿原市は、奈良盆地に存在するため、市域の大部分が平地であり、全体に起伏が少ないという特徴があります。ただし、国の名勝に指定され、世界遺産の暫定リストにも載っている「大和三山」が存在し、その優美な姿を市民や観光客に見せています。

大和三山は、「天香具山(あまのかぐやま)」「畝傍山(うねびやま)」「耳成山(みみなしやま)」の3つの山で構成されていています。大和三山は、古代から神聖な山として崇められていて、その周辺には生活拠点が作られていました。実際に、橿原市内には、縄文・弥生文化の遺跡が数多く残っています。

古代において橿原が大きく発展したのは、飛鳥時代の694年です。中国を参考にして条坊制を導入した、日本で最初の計画都市である「藤原京」が現在の橿原市周辺に造営されました。大和三山の中心部に存在していた藤原京は、首都として「数万人」が暮らしていたとされています。しかし、わずか16年で首都としての機能を終わり、平城京に遷都しました。

ただし、古代日本においては、天皇の崩御とともに遷宮するのが普通だったため、藤原京に特別な問題があったわけではありません。むしろ藤原京は、持統天皇、文武天皇、元明天皇の3代にわたって利用された異例の都城だったと言えます。

橿原は日本の首都ではなくなったものの、交通の要所であったために、その後も発展を続けていきました。戦国時代になると、今井兵部が立てた称念寺を中心にして、「今井町」という一向宗の宗教都市が誕生しました。今井町は一向宗の拠点として、織田信長と戦いを繰り広げました。

しかし、本願寺が織田信長に降伏したため、今井町も一向一揆の拠点都市から、近畿を代表する商工業都市へと変化していきます。その繁栄ぶりは、栄華を極めた貿易都市である堺と並び称されるほどでした。

今井町は、江戸時代には徳川幕府の領地として支配されることになりますが、「大和の金は今井に7分」と言われるほどの財力を持っていました。その力から幕府も今井町を優遇し、警察権など数々の特権を与えたため、今井町は自治都市として栄えていきました。

江戸時代末期ごろに、橿原は、神武天皇が大和朝廷を建国した土地だと評価が高まりました。1890年(明治23年)には、官幣大社である「橿原神宮」が創建されることになりました。戦後の高度経済成長期に入ると、大阪市、京都市、奈良市という3つの大都市から近いという好立地のために、多くの住宅が建てられ、発展していきました。

1956年(昭和31年)2月に、「今井町」「高市郡八木町」「畝傍町」「鴨公村」「真菅村」「磯城郡耳成村」の3町3村が合併して橿原市になりました。同年7月に「高市郡金橋村」「新沢村」を編入、9月に「桜井市」の一部を編入、翌年7月に「大和高田市」の一部を編入し、現在の市域になりました。

橿原市の近年の傾向

1980年に人口107,316人だった橿原市は、1995年には人口121,988人と、人口が「12万人」を突破しました。
2010年時点の橿原市の「人口密度」は、1平方キロメートルあたり「3,178人」でした。2021年の県別の人口密度を見ると、1位の東京が約6,400人、2位の大阪府が約4,600人、3位の神奈川県が約3,800人、4位の埼玉県が約1,900人です。このことから、橿原市はかなり人口密度が高い地域だと言えます。

奈良県全体の人口密度は約400人のため、橿原市は県内でも有数の活気のある地域だと言えます。実際に橿原市の人口は奈良県で2位であり、県庁所在地である奈良市に次ぐものです。

橿原市の人口は、2010年の125,805人でピークとなり、その後は、ゆるやかに人口が減少していっています。人口減少に反して、「世帯数」は年々増えていっています。これは、橿原市の人口減少が、世帯ごとの転出ではなく、各家庭の構成員が転出していったものであることを示しています。

橿原市の人口は、2010年の125,805人でピークとなり、その後は、ゆるやかに人口が減少していっています。人口減少に反して、「世帯数」は年々増えていっています。これは、橿原市の人口減少が、世帯ごとの転出ではなく、各家庭の構成員が転出していったものであることを示しています。

また橿原市の「自然増減」は、2011年までは出生数が死亡数より多く、毎年人口が増加していました。しかし、2012以降は、出生数と死亡数が同数に近い横ばい状態となっています。
これまでのデータから、橿原市の人口は減少傾向にあること、その原因は各家庭の若者が転出してしまっていることだとわかります。橿原市は大阪市、京都市、奈良市などに近いことが利点になっています。しかし同時に、すぐ近くに大都市があることが、若者の流出を加速させているという側面もあります。

日本創成会議の推計では、2010年に125,602人であった人口が、2040年には105,629人になり、2060年には82,466人と、2010年の約65%程度まで人口減少が進む、となっています。人口減少は、地価の下落に結びつきます。そのため、橿原市の不動産売却を考えているなら、人口が大きく減る前に取引をしておいたほうが、利益が大きくなる可能性が高くなります。

ただし人口の増減には、市の「施策」も大きく関わってきます。地域を活性化させる施策がなされ続ければ、人口減少が抑えられることもありえます。そのため、橿原市がどのようなビジョンを持って市政を行っているかも検討して、不動産の売却タイミングを見極める必要があります。

橿原市の市政

令和4年、橿原市は「勇進」をスローガンに市政を進めようとしています。具体的には「個性を輝かせる」「みんなが健やかに」「安全で快適」「賑わいあふれる」「信頼できる行政」という5つの柱で、施策をおこなっていきます。

第1の柱は、「みんなが活躍し、個性輝くまち」です。これは主に橿原市の将来を担う子どもたちを健やかに育成する施策が多く盛り込まれています。まず、「公立幼稚園」の、未整備の保育室の空調設備を整え、待機児童の入園に備えようとしています。

また「民間の保育所」に対しても、支援金を支給するなどして、保育士が働きやすい環境を作り、受け入れ児童が増えるようなサポートを実施する予定です。さらに待機児童が多い2歳までの子供を対象とした「民間小規模保育事業所」を整備するための取り組みも進めていく方針です。

ほかに学校や幼稚園を退職した職員を集めて、公民館などで「かしはら校外塾」を開き、子どもたちの学習支援を行っています。かしはら校外塾は、学力向上の場というだけではなく、子供が安らげる場所でもあり、悩みを相談する場所でもあります。ほかに「放課後児童クラブ」などの整備も進め、子どもたちの育成に努めていく予定です。

第2の柱は「みんなが健やかに、支え合って暮らせるまち」を作るということです。まず、新型コロナの感染拡大を防ぐために、ワクチン接種を進めていきます。また、子宮頸がん予防ワクチンについても、接種を推奨する活動を行っていく方針です。

また市民が安心して暮らすために、「橿原市休日夜間応急診療所」の運営に取り組んでいきます。さらに二次救急医療のために、「輪番病院体制」を365日実施して、万全な医療体制を整える予定です。

第3の柱は「みんなが安全に、快適な環境で生活できるまち」を作ることです。まず耐震性能の無い本庁から、耐震性能のある既存施設に本庁機能を移して、役所を利用する市民と職員の安全を図っていきます。安全性の低い現庁舎に関しては、令和5年に解体が始まる予定です。

また、千葉県で下校中の生徒が事故に巻き込まれた件を受け、市内の通学路の点検を実施しています。安全性に問題があった場所については、令和5年までに対処を行う予定です。

「上水道事業」では、老朽化した水道管を耐震化し、安全な水を市民に供給できるよう管理を行っていきます。また、奈良県が進めている「水道の広域化」についても、協議をおこない、協定の締結を目指していく方針です。「下水道事業」では、老朽化した下水道施設を適切に管理して、衛生的なまちづくりをするとともに、水質保全を行っていきます。

第4の柱は「みんなが活力と魅力を生み、賑わいあふれるまち」を作ることです。まず「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の世界遺産登録を進めるとともに、藤原宮跡の整備をしていく予定です。

大きな経済効果が見込まれる「京奈和自動車道」は、現在、橿原北インターチェンジから橿原高田インターチェンジまでの約4.4キロメートルが完成していません。しかし令和3年度に該当区間の用地取得は完了しており、早期開通に向けて事業を進めていく方針です。

また、「人口減少」に対する取り組みも行っています。これまで、東京や大阪で行われた移住イベントに参加して、橿原市への移住者を募っています。さらに橿原市に住む親世代と同居したり、近居したりする人に対して助成を行うことにより、若者の橿原市への転入を促進しています。

それに加えて、県外から配偶者が転入した場合に「新婚新生活支援事業補助金」を出したり、新しく農業を始める人に対して「新規就農者育成総合対策補助金」を支給するなどして、橿原市への定住を促進し、活気のある街づくりを行っていきます。

第5の柱は「市民とともにかしはらをつくる信頼の行政運営」をするということです。まず、行政運営の「デジタル化」を進めていくことによって、行政の効率化を図り、市民サービスの向上に努めていきます。

橿原市は「実質公債費比率」「将来負担比率」が改善しており、財政の健全化が進んでいます。しかし、さらに財政再建を進めるため、「財政危機宣言」を維持し、人員削減や既存事業の見直しを行って経費削減に努めていく方針です。

橿原市の特徴や見所

橿原市は、「橿原神宮」や「藤原宮跡」「大和三山」「今井町」などの多くの観光資源に恵まれた地域です。ほかに「香久山神社」「久米寺」「益田岩船」などもあり、観光スポットには事欠きません。

「気候」は夏は暑く、冬は寒いという典型的な盆地の気候ですが、雪はほとんどふらず、災害も少ないため、非常に暮らしやすいところです。

「交通網」も整備されており、近鉄大阪線・橿原線などの鉄道によって、大阪、京都、神戸といった県外の大都市に短時間でアクセスすることが可能です。また、国道24号や南阪奈道路などもあり、自動車での移動もしやすくなっています。近いうちに橿原で途切れている京奈和自動車道もつながって、より利便性が増すことが予想されます。

橿原市は人口が多い分、市内の商業施設も充実しています。百貨店やショッピングモール、スーパーなどが多くあり、市内だけで日常生活のすべてを賄えます。また、橿原市には奈良県で唯一の特定機能病院である「奈良県立医科大学附属病院」があり、その他にも120の医療機関が立地しています。そのため橿原市は、医療環境にも優れたまちであると言えます。

橿原市での不動産売却に関する総括

橿原市は、神武天皇が大和朝廷を開いた地、という伝説があるほどの長い伝統と歴史を持つ場所です。大和三山や藤原宮跡などの貴重な史跡も多く、いにしえの日本を思い起こさせるまちとなっています。

人口はやや減少傾向にありますが、奈良県内では奈良市に次いで人口が多く、賑わっている地域だと言えます。橿原市では、若者の転入補助や若い農業従事者の育成事業なども行っているため、今後も活気が続く可能性は十分にあります。

交通アクセスの良さも橿原市の魅力で、鉄道網も道路網も整備されており、県内各所や県外の大都市へ行きやすくなっています。不動産売却で考えると、建設が続いている「京奈和自動車道」の完成が1つのポイントとなります。京奈和自動車道の完成によって大きな経済効果が見込まれるため、それに合わせて不動産を売ると、高値で売却できる可能性が高まります。


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