静岡県 浜松市 南区 リースバック時に知っておくべき情報について徹底解説!

今回は静岡県浜松市南区についてご紹介します。浜松市南区にお住まいの方で、リースバックを考えている方は、南区についての情報はもちろん、現在のリースバック価格の相場や今後の市の動向にも注意して着目する必要があります。
今回は数値などを具体的に出しながら南区の特徴をご説明し、今、リースバックをすべき理由を述べたいと思います。売却をご検討の方はぜひ最後までお読みください。

静岡県 浜松市の概要(背景)

まずは浜松市の歴史についてご紹介します。

① 1911年(明治44年)7月1日

この日に浜松市の市制が施行されました。当日は利町の五社公園で祝賀式が行われましたようです。当時の戸数は6940戸、人口3万6782人。静岡市に次ぐ県下2番目の市として歩み始めました。

② 1910年 産業都市としての歩みを開始

政府の軽便鉄道法施行を受け、浜松でも2つの私設軽便鉄道会社が創立されました。1912年(大正元年)に設立されたのが、浜松鉄道株式会社(当初は浜松軽便鉄道株式会社)です。
現在浜松市は産業都市としても知られていますが、1912年にその起源を見ることができます。

③ 1931年 全国産業博覧会の開催

さて、産業都市として名を馳せるようになった浜松市は、市制20周年祝賀の意を込めて同市を会場に、全国産業博覧会が開催されました。1931年(昭和6年)3月15日から5月8日までの55日間にわたり開催され、入場者は68万人に上ったようです。当時の浜松市の人口はおよそ11万人だったことを踏まえると、かなりの数の入場者がいたことがわかります。

日本各地の物産をほぼ日本の中心部である浜松市に集め、機械や発明品の展示で入場者の興味を引くことで、浜松市をさらに発展させた高度な産業都市にすることが開催の大きな目的でした。この目的は達成されることとなり、この全国産業博覧会を機に、商工都市・浜松の名が全国に知られるようになりました。

④ 1941年 大空襲を受けて

1941年(昭和16年)の太平洋戦争開戦に伴い、皮肉にも産業都市として軍事物資の生産を行っていた浜松市は、地方都市の中でもより多く空襲された街となりました。
現在では、長崎や広島の原爆被害によって焼け野原になった空襲のイメージが根強く残っていますが、原爆被害を受けていない浜松市のような地方都市でも、文字通り「焼け野原」になるほどの空襲を受けました。
1944年(昭和19年)から1945年(昭和20年)にかけて、合計27回もの空襲を受けました。
浜松市の空襲による被災人口は当時の人口の64%にあたる12万人、被災戸数は88%にあたる3万1000戸に上りました。

⑤ 戦後復興

太平洋戦争によって大きな被害を受けた浜松市ですが、終戦後には復興に向けて大きな一歩を踏み出します。
例えば1964年(昭和39年)には東海道新幹線が開通しました。高度経済成長を象徴する日本における大事業の一つとされています。

続いて1969年(昭和44年)には東京と名古屋を結ぶ本格的なハイウェイ東名高速道路も開通しました。浜松インターもこの時に開設されました。
言わずもがなの交通網の発達により、浜松市の産業文化はさらに加速していくこととなります。

⑥ 浜松国際ピアノコンクール

浜松と聞くと、このピアノコンクールと結びつく人も少なくないと思います。
1991年(平成3年)に市制80周年を記念して、第1回浜松国際ピアノコンクールが開催されました。
現在では3年ごとに開催され、世界で活躍する優秀なピアニストを多く輩出しています。

⑦ 現在の浜松市に繋がる合併

2005年(平成17年)7月1日には、天竜川・浜名湖地域の12市町村が合併。新「浜松市」は、人口80万人を超える県下最大規模の都市となりました。
さらに2007年(平成19年)には政令指定都市になりました。
2011年(平成23年)には、浜松市政が100周年を迎え、様々なイベントが開催されました。今後も150周年、200周年に向けてさらに勢いを増していくでしょう。
以上、浜松市の歴史についてご紹介しました。
より詳しく浜松市の特徴を掴むために、市の花・鳥をご紹介します。

浜松市の花

平成18年11月28日に、浜松市を表す花は「ミカン」と定められました。
浜松市の温暖な気候を活かして栽培されるミカンは、全国的なブランドになっています

浜松市の木

平成18年11月28日に制定されました。海岸部にクロマツ、内陸部にアカマツが多く見られます。市内には古木、名木が存在し、これらにまつわる伝説が現在も市民に語り継がれているとのことです。

浜松市の鳥

こちらは平成18年11月28日に、「ウグイス」が市公認の鳥として制定されています。人々の心を和ませる美しく澄んだ鳴き声は音楽のまち・浜松を象徴するとされています。

*参考浜松市HP

数値情報(人口、病院数、コンビニ数、学校数)

南区の現在の数値情報を見ていきたいと思います

人口 ※令和4年9月1日時点

世帯数  45,097世帯 総人口  101,735人となっています。
(世帯・人口ともに外国籍も含む。)

市民の約13%が南区に居住しています。
また区内には外国人市民が多く、区の人口に占める外国人市民の割合が市内7区の中で最も高い地域となっています。

*参考南区HP

病院数

西区には一般診療所が計47ヶ所あります。
内科系診療所が28ヶ所、外科系診療所が13ヶ所、小児科系診療所が10ヶ所、産婦人科系診療所が1ヶ所存在しています。また歯科系は37ヶ所あります。全体的に人口10万人あたり施設数の全国平均と比較すると若干平均数を下回るものの、浜松市全体では十分な数が確保されているので、医療環境に関して困ることは少ないと言えるでしょう。

*参考日本医師会「地域医療情報システム」

コンビニ数

静岡県内のコンビニ数ランキングで中区は43位中17位となっています。
コンビニ数は38ヶ所であり、同市内においては中区、東区、西区に次いでコンビニが多い地域です。
まず生活していく上で困ることはないと言えるでしょう。

*参考『アパマンショップ』「市区町村別 コンビニの数ランキング(静岡県)」

学校数

以下の数値は南区のみではなく、浜松市全体ですがご紹介します。

  • 公立幼稚園は60園、私立幼稚園は45園あります。幼稚園園児数は9,696人です。
  • 小学校は99校あり、42,119人の生徒が在籍しています。
  • 中学校は58校あり、22,523人の生徒が在籍しています。
  • 高校は28校あり、22,046人の生徒が在籍しています。

浜松市の高校に通う高校3年生の現役大学進学率は、48.6%となっており約半数が大学進学する状態となっています。

*参考https://www.seikatsu-guide.com/info/22/22130/5/

浜松市南区の魅力について

南区は、浜松市東南部の7地区(白脇、新津、飯田、芳川、河輪、五島、可美)で構成され、市の総面積の約3%となる46.84平方キロメートルの区域を有しています。
自然環境に恵まれた地域であり、東に天竜川、南に遠州灘を臨んでいることから、安間川、馬込川、芳川などの河川や遠州灘に面する中田島砂丘などがあります。さらに可美総合公園、飯田公園(緑化推進センター「みどり~な」)、遠州灘海浜公園などの公園も多く存在しており、市民憩いの場所として親しまれています。

以上のように、南区は自然に恵まれた街である一方で、区域南部が遠州灘に面していることから海岸部での津波災害が危惧されています。近い将来、南海トラフ巨大地震が発生する可能性が高いとされている中、区や市は防災対策を最重要課題として置いています。

浜松市の移住支援について

浜松市では、市内への移住・定住の促進のために、東京圏から浜松市に移住して、就業または起業した方に対し、最大100万円(加算される場合あり)を支給する「浜松市はじめようハマライフ助成事業費補助金」が、実施されています。単身の場合は60万円の支給となっています。令和4年度からは、18歳未満の世帯員を帯同して移住する場合、一人につき30万円が加算されることになりました。

条件としては

  • 移住する直前の10年間のうち通算5年以上、かつ、移住する直前に連続して1年以上、「東京23区内に在住していたこと」
  • 移住する直前の10年間のうち通算5年以上、かつ、移住する直前に連続して1年以上、「東京圏のうちの条件不利地域以外の地域に在住し、東京23区内へ通勤をしていたこと」※東京23区内の大学等に通学し、東京23区内の企業等に就職した方は、通学期間も上記期間に加算可能となっています。
  • ・浜松市に確実に移住すること

以上のように、細かな条件がありますので来年度も要確認が必要です。

まとめ リースバックについて

今回は静岡県浜松市南区をご紹介しました。南区は外国籍の方も多く、多様性を重んじた地域になっていることが特徴でした。
現在静岡県浜松市南区における一戸建てのリースバック価格相場は、3,094万円となっています。現在、浜松市南区における戸建の売却相場価格は減少しており、取引数も減少しています。
不動産の購入需要が減少していると考えられるので、これ以上価格が下がる前に売却しておくことをオススメします。この記事が、浜松市南区において売却について具体的なアクションを起こす一歩になると幸いです。最後までお読みいただきありがとうございました。

*参考リースバック相場価格